【渋アー:第5回】
想像の余地

(この特集についての詳細はこちらの説明ページをご一読ください)

 ボードゲームの渋いアートワークとは、華美ではないが味のあるデザインやイラストだと思っている。この企画では、それらの渋いアートワークのコンポーネントに焦点を当て、毎回1つずつ紹介している。

 今回はその番外編のような形で、いつもと少し趣向を変えて、ボードゲームのコンポーネントにおける「想像の余地」について探っていきたい。

 2020年代も丸一年が過ぎた現在、ボードゲームのコンポーネントのトレンドは、作り込み路線だ。木駒は細部まで造形され、塗装される。ボードには鮮やかで細かいイラストが描き込まれ、雰囲気作りも万全だ。有名なイラストレーターが起用され、隅々まで抜かり無い。
 これはクラウドファンディングの流行とも関係しているだろう。資金調達のためには、出来るだけ目を惹くビジュアルが必要だし、造形のアップグレード自体が段階的なゴールとして設定される事も多い。

 僕はこの路線には、特に賛成も反対もしない。どんなアートワークであれ、それは作者が選んだゲームの個性であり、尊重されるべきだ。しかしこの作り込まれたアートワークが歓迎される風潮の中で、単純な色や形のコンポーネントの持つ「想像の余地」という物が見過ごされているとしたら、一度立ち止まって振り返ってみてもいいのではないかと思う。

 さて、まずはこちらの駒を見て欲しい。何の駒かご存知だろうか。

キューブ型駒

 これだけで分かる人は神か仏か僕の背後霊かのどれかだろう。配色だけで分かる人は、かなりの通である。
 見ての通り、極めて抽象的な造形だ。ただの立方体だと言っても良い。

 ではこれではどうだろうか。

ボードに乗ったキューブ型駒

 知っている人はこれで分かるはずだ。そう、「Dominant Species(ドミナントスピーシーズ)」というゲームで生物種を表すキューブ型の駒だ。
 この四角い駒は、太古の地球で繁栄していた生物、例えば爬虫類のある1つの生物種を表す。駒の造形はと言えば、余りにもありきたりな四角いキューブ型だ。単純化された造形などと言うのも憚られるほど、何の特徴も無い形だ。

 ここで、あなたがこのゲームのコンポーネントをデザインすると仮想して、この「爬虫類の1つの生物種を表す」という駒をどのようなデザインにするかを考えてみて欲しい。

 爬虫類なのだから、可愛らしいトカゲのような形にすれば、見た目上の区別も付きやすいし、プレイ中の思い入れも強くなっていいのではないかと思うかもしれない。ただの四角い駒が、クラウドファンディングの段階的なゴールとしてトカゲ型の駒にアップグレードするというのも、いかにもありそうなシナリオである。

 もちろん、それもいい。駒を具象的な形にする事には様々なメリットがある。
 しかし、ここで一度立ち止まって考えてみてもいい。

ドミナントスピーシーズの駒の写真

 この駒は、1つの生物種を表す。爬虫類という生物学上の分類の中での、1つの種だ。つまり、トカゲかもしれないし、ヘビかもしれない。カメもワニも爬虫類だ。それならば、これと同色のキューブがいくつも配置されていれば、1つはトカゲ型の種であり、1つはヘビ型、もう1つは甲羅を持った種かもしれないのだ。

 もしこれがトカゲ型の駒だったとしたら、プレイヤーはきっと「この場所にトカゲみたいな生き物が繁殖してるんだな」としか思わないだろう。
 しかし何の特徴も無い四角い駒であれば、その場所には爬虫類に属する様々な生物が繁栄しているのを想像する事ができる。

 これが、この何の特徴も無い駒の持つ「想像の余地」だと言える。そして、生物の繁栄をテーマにしたこのゲームでは、その「様々な種が入り乱れて繁栄している太古の地球のイメージ」というのが、テーマ的にも非常にマッチしているのである。

 次は、このコンポーネントを見てみよう。

金属球

 この金属の玉は「KAYANAK(カヤナック)」という子供向けのゲームで魚を表すコンポーネントだ。大小2種類の玉があり、それぞれ大きい魚と小さい魚を表す。

 なぜ魚がこのような鉄の玉になっているかというと、このゲームではワカサギ釣りのように氷に開けた穴に見立てた盤面の穴から、磁石の付いた釣り糸を垂らし、鉄の玉をくっ付けて魚釣りをするのだ。箱の底にはたくさんの窪みがあり、箱を揺らす事で丸い鉄球が転がって窪みにはまり、穴から垂れてきた磁石を丁度良いポジションで待ち構える。

カヤナックのプレイ風景

 このゲームでは、丸い鉄の玉という形状がゲームのシステムを成り立たせる上で必要な形なのだが、それがまた楽しげな「想像の余地」を作り出すのだ。
 子供たちは小さい玉が釣れたら「イワシが釣れた」と言い、大きい玉だと「マグロだ」と言って喜ぶ。もちろん氷の穴からそんな魚が釣れる事は無いのだが、子供たちの想像力にとってそんな事は関係ない。大人も一緒になって、イカが釣れた、シーラカンスが釣れた、と言って楽しむ。長靴が釣れる事だってあるかもしれない。

 もし全く別のシステムで魚釣りのゲームがあったとして、釣れた魚が細部まで作り込まれた造形だと、ここまで想像は膨らまないだろう。これが、この何の変哲も無い鉄の玉が作り出す「想像の余地」である。もちろん、細かい造形にはまた別の良さがある。どちらが優れているという話ではない。

 さて、次もまた駒の話だ。この人型の駒は何の駒だろうか。

人型駒

 これは原始時代の人々の暮らしをテーマにしたゲーム「STONE AGE(ストーンエイジ)」の原始人駒だ。いわゆる「ミープル」と呼ばれる基本的な人型駒をベースにしつつ、モジャモジャの頭と服の肩部分の造形によって、原始人の造形を表している。

 この駒は、原始人だと分かっていればそう見えるが、知らない人が見たら、すぐには原始人であると分からないかもしれない。頭はアフロヘアーにも見えるし、肩の造形も腕が4本あるインドの神様か何かにも見える。

 ではもっとコストを掛けて、この駒の造形を細かくしてみたらどうだろうか。例えば駒にイラストをプリントして服や髪の造形を分かりやすくしてもいいし、原始人と聞いてイメージする槍や棍棒を持たせてもいい。そうする事で、ゲームの体験はどのように変わるだろうか。

ストーンエイジのボードと駒

 このゲームは、各プレイヤーが自分の原始人駒をボード上の様々なスペースに配置し、そのスペース固有のアクションを実行する事で進行する。狩りに出たり、資源を採集したり、農作業をしたりする。2人で小屋に入れば、子供が産まれる。

 もし駒にイラストが描かれていたら、それはより具体的な原始人の姿をイメージさせるだろう。きっと性別も読み取ってしまうはずだ。髪型や服装を描き込んだ上で、完全に中性的に見せるのは難しい。すると例えば、子供を作るために小屋に入るのに、どの駒を使うべきだろうか、迷ってしまうかもしれない。
 また、仮に棍棒を持っていたら、狩りに出るのにはぴったりだが、農作業をする時に、原始人たちは果たして棍棒を持って行くだろうか。あるいは子供を作るのに棍棒が必要だろうか。代わりに、花の一輪でも摘み取って、小屋の中でこっそりプレゼントしていると想像してみるのはどうだろう。棍棒の持つ破壊的なイメージは、花をつまんだ指先のイメージには繋がらない。

 ここに、この原始人駒が持つ「想像の余地」がある。簡単な造形のまま残された駒は、そこに様々な物語を付け足していく事ができる。
 もちろん、これも何が正解という話ではない。反対に細部まで作り込まれた駒は、デザイナーの用意した物語を、プレイヤーに最短距離で伝えてくれる。どちらを選ぶかは、ゲームのテーマとその体験をどう設計するか、それ次第だ。

 次は少し変わった例を見てみよう。

二つの木駒

 家のように見えるこの駒、実はお金である。1600年代に起こったドイツの三十年戦争を舞台にした「Wallenstein(ヴァレンシュタイン)」というゲーム内の貨幣だ。
 ボードゲームでは当たり前のようにゲーム内貨幣が登場するが、その多くは鋳貨を模した厚紙のチップか、薄い紙の紙幣である。一見してお金に見えない木駒を貨幣に使っているゲームは余り見た事がない。もちろん、そもそも通貨が存在しない世界を舞台にしたゲームでは、何か別の物を貨幣代わりにする事もあるかもしれないが、それはまた別の話だ。

 このゲームの舞台は中世後期くらいのヨーロッパなので、貨幣が存在しないはずがない。それならばこの家か食パンのような形の貨幣は何なのだろうか。

 正解は、箱である。宝箱だ。金銀財宝が目一杯詰められている(と思われる)宝箱だ。
 あなたは、何かのゲームをしていて「金貨3枚で家が建てられる」というようなルールに違和感を感じた事はないだろうか。金貨3枚で家が建つ? そんな馬鹿な。当時の物価は知らないが、たったの3枚で家が建つんだろうか、と。
 もちろんそれはゲームのルールにおいて、便宜的にそうなっているに過ぎない。だが貨幣を表すコンポーネントに具体的な数値や造形が見える場合、そこには現実的な価値がイメージされ、ゲーム上の価値との違和感が常に付いて回る。

 ではこのゲームの宝箱はどうか。この箱に入っている金銭の価値は判然としない。銅貨が少しだけ入っているのか、金貨がぎっしり詰まっているのか、あるいは宝飾品が入っているのか。そもそも箱の大きさすら分からない。
 つまり、この箱の価値は想像に委ねられている。「箱3つで城が建つ」と言われても、箱の大きさや入っている物を好き勝手に想像すれば、何となく「そんなものか」と思える。これもまた「想像の余地」だと言えるだろう。

ヴァレンシュタインのボードと駒

 さて、ここまで駒ばかりを見てきたが、話も長くなってきたのでひとまず今回はここで終わりにしよう。

 繰り返しになるが、どのようなデザインの方向性であっても、それはデザイナーがそのゲームに与えようとした個性であり、簡単に口出しされるべきではない。
 コンポーネントのデザインには色々なアプローチがある。細部までリアルに造形し、まるでプレイヤーにその世界に降り立ったような体験を与える物。または、あえて造形に抽象性を残し、プレイヤーの想像力を最大限に引き出そうとする物。
 あたながデザイナーであっても、プレイヤーであっても、そのゲームがどのような体験を生み出そうとしているのかを、そのビジュアルデザインの具象性と抽象性から考えてみるというのも、1つのアプローチとして面白いのではないかと思う。

 最後に、もう1つだけゲームのコンポーネントを紹介しよう。詳しくは書かないが「Vast(ヴァスト)」というゲームの駒である。

Vastの駒

 写真の左右にそれぞれ木駒とイラストの駒がある。両者はゲームにおいて同じ物だ。どちらを使っても良い。

 さあ、あなたはどちらの駒を使うだろうか?